〝八月の歌〟から学んだこと

〝~テレビじゃこの国 豊かだと悩んでる。だけど俺の暮らしは何も変わらない~〟

浜田省吾さんの1986年に発売されたアルバム「J・BOY」に収録されている、

〝八月の歌〟の歌詞の一部です。

 

アルバムが発表されたこの年以降、日本経済はピークを迎え、5年後の

1991年後半に破綻するまで〝この国は〟「バブル景気」に浮かていました。

 

高校時代・・・いや青春時代は、はぼ〝浜省〟しか聴かなかった僕は

「J・BOY」の世界観に。。。〝八月の歌〟の警鐘にどっぷり浸っていきました。

だから。。。だから。。。今も、心豊かで生活が充たされているという

本当の意味を考えさせられます。

 

〝バブル〟の反省は薄れ、今度は情報化や効率化が必要不可欠と謳われ、

コミュニケーションすらITに依存する社会は本当に豊かですか?

サラリーマンのランチ代と同額くらいを、スマホの通信費に支払っている

昨今の生活は本当に充たされていますか?

 

僕がまだ幼い頃、昭和40年代後半~50年代のはなしですが、

僕の父親は僕が覚えてるいるだけで、7、8回職を変えるような人でした。

気に入らないことがあると、癇癪を起こし躊躇なく仕事を辞めていました。

当時は自覚していませんでしたが、いま大人になって考えると我が家は

収入的に、下級層だったんだと思います。

でも、そんな家庭でも 家は小さいながら新築の持ち家でしたし、マイカーも

カラーテレビも所有してました。玄関先には父親が、毎晩晩酌で数本飲む

大瓶のビールがケースで常においてありました。ビールですよビール!

発泡酒でも第3でもない!(笑) まー当時そんなものはありませんけどね(笑)

どうしてたいして収入もない家庭に、そんな生活出来たんでしょうかね?

現在(いま)は、たいして必要じゃないものに 時間やお金・・もっと大事なものを

奪われているんじゃないのかな?なんて・・・。

 

自分にとっての本当の豊かさや、大切なものってなんだろと、

周りに流されず考えるようなったのは〝八月の歌〟の影響だと思っています。

 

「意味も無く年老いてく、報われず裏切られ、何一つ誇りを持てないまま」

「こども等の肩を撃つ、飢えてゆく荒んでく、明日への誇りなど持てないまま」

 

自分がそうならないように・・・この国が多くのひとがそう思わない世の中に・・・

切にそう望んでいます。